2010.10.29 Friday
好雪 片々不落別処
好雪 片々不落別処
〜こうせつ へんぺんべっしょにおちず〜
見事な雪。
ひとひらひとひら、まちがったところには落ちない。
いきなりですが、
大好きな 石井ゆかりさんの著書
『禅語 〜Zengo〜』 の中の一編。
ランダムに、バラバラに、
思い思いに降りおちてくるように見える雪だが、
降り終えてその積もった様子を見ると、
ぴたりと狂いのない平らな雪原となる。
自らの重みと、風の流れに沿っておちているだけなのに、
落ちるべきところに落ちていっているのだ。
〜中略〜
進路や職業選択、恋愛など、
誰もがその人生の中で いくつもの「分岐点」を経験する。
そこで、何を選ぶべきか迷う。
そういうとき、人は
『自分の未来は自分の意志や思考で決められる』とか、
『あのとき、別の道を選んでいれば!』 など、
あとになって後悔することもある。
でも、本当にそうなのだろうか。
私達はたぶん、
雪のひとひらひとひらのように、
自分の重みと風の流れに沿って、
自然にあるべきところにたどり着いているのではないだろうか。
「何かものごとがうまく行く時は、
自分のことなのに まるで人ごとのように
トントン拍子に事が進むんです」
と、
以前、語った人がいた。
(だから)
「どんな障害があっても
それは 問題にならないんです」と。
今回のカウアイツアーを終え、
さらに、マウイ島での様々な体験を経て、
この禅語があらわす景色を
いま、しみじみと味わっています。
ものごとがはじまる前には よく、
色々なことを 気がかりに思うことがある。
頭では
「気にし過ぎないほうがいいよ」 とか、
心では
「信頼していれば 大丈夫だよ」 とか、
色々な セルフセキュリティーの知恵を持っているとしても
まだ見ぬ 未来のできごとを
ちょっとだけ気がかりに思うことは なかなか完全にはなくならない。
ただ、
その心の切り替えが
ここ数年で、
実に早くなったのは確か。
日本でも有名な ハワイのヒーラー
ウィリアムレーネンさんも 言われていた。
「ポジティブに生きる」
「ポジティブに考える」という言葉が氾濫していますが、
それは 例えば、
病気である人が 「自分は病気ではない」と
主張すること ではありません。
ポジティブに生きるとは、
あらゆる状況、出来事に直面し、
前向きに対処し、生きて行く というあり方で、
「関連するすべてにおいて、適切な行動がとれますように」
という意識を、自分の中に落とし込み、実践することなのだ
と。
この<客観的>な意識で
すべての状況に対応してゆけることが
本当の意味でのポジティブな生き方、考え方なのだ、と。
レーネンさんの言葉でもうひとつ、興味深かった言葉で、
「ベストな選択は何か」
ということを考えている人は大勢いますが、
選択肢はすべて、<ベストな選択>になる可能制を秘めています。
何かを 選択し、
それをポジティブな結果にするか
ネガティブなものにするか、
それはあなた次第なのです。
私達が必要なのは、
これから 何が起きるか、
何がベストな選択かを 知ることではなく、
<選択する能力>と
<ポジティブに対処するための能力>です。
何が起きても しっかりと 何かを選択し、
結果をポジティブに変える準備ができていれば、
未来を怖がることなく 今を生きられるようになるのです。
という一節がある。
今回の旅を終えて、
さらにまた
目に見える世界の <不安定さ>と、
目に見えない部分の <安定感>
のはざまで揺れる時間が
限りなく
短くなって来たのを感じます。
目に見える世界に <安定>を求めがちな私たちですが、
本当の安定感は、
目に見えないところにあるのだと
いまは、心から思えるのです。
〜こうせつ へんぺんべっしょにおちず〜
見事な雪。
ひとひらひとひら、まちがったところには落ちない。
いきなりですが、
大好きな 石井ゆかりさんの著書
『禅語 〜Zengo〜』 の中の一編。
ランダムに、バラバラに、
思い思いに降りおちてくるように見える雪だが、
降り終えてその積もった様子を見ると、
ぴたりと狂いのない平らな雪原となる。
自らの重みと、風の流れに沿っておちているだけなのに、
落ちるべきところに落ちていっているのだ。
〜中略〜
進路や職業選択、恋愛など、
誰もがその人生の中で いくつもの「分岐点」を経験する。
そこで、何を選ぶべきか迷う。
そういうとき、人は
『自分の未来は自分の意志や思考で決められる』とか、
『あのとき、別の道を選んでいれば!』 など、
あとになって後悔することもある。
でも、本当にそうなのだろうか。
私達はたぶん、
雪のひとひらひとひらのように、
自分の重みと風の流れに沿って、
自然にあるべきところにたどり着いているのではないだろうか。
「何かものごとがうまく行く時は、
自分のことなのに まるで人ごとのように
トントン拍子に事が進むんです」
と、
以前、語った人がいた。
(だから)
「どんな障害があっても
それは 問題にならないんです」と。
今回のカウアイツアーを終え、
さらに、マウイ島での様々な体験を経て、
この禅語があらわす景色を
いま、しみじみと味わっています。
ものごとがはじまる前には よく、
色々なことを 気がかりに思うことがある。
頭では
「気にし過ぎないほうがいいよ」 とか、
心では
「信頼していれば 大丈夫だよ」 とか、
色々な セルフセキュリティーの知恵を持っているとしても
まだ見ぬ 未来のできごとを
ちょっとだけ気がかりに思うことは なかなか完全にはなくならない。
ただ、
その心の切り替えが
ここ数年で、
実に早くなったのは確か。
日本でも有名な ハワイのヒーラー
ウィリアムレーネンさんも 言われていた。
「ポジティブに生きる」
「ポジティブに考える」という言葉が氾濫していますが、
それは 例えば、
病気である人が 「自分は病気ではない」と
主張すること ではありません。
ポジティブに生きるとは、
あらゆる状況、出来事に直面し、
前向きに対処し、生きて行く というあり方で、
「関連するすべてにおいて、適切な行動がとれますように」
という意識を、自分の中に落とし込み、実践することなのだ
と。
この<客観的>な意識で
すべての状況に対応してゆけることが
本当の意味でのポジティブな生き方、考え方なのだ、と。
レーネンさんの言葉でもうひとつ、興味深かった言葉で、
「ベストな選択は何か」
ということを考えている人は大勢いますが、
選択肢はすべて、<ベストな選択>になる可能制を秘めています。
何かを 選択し、
それをポジティブな結果にするか
ネガティブなものにするか、
それはあなた次第なのです。
私達が必要なのは、
これから 何が起きるか、
何がベストな選択かを 知ることではなく、
<選択する能力>と
<ポジティブに対処するための能力>です。
何が起きても しっかりと 何かを選択し、
結果をポジティブに変える準備ができていれば、
未来を怖がることなく 今を生きられるようになるのです。
という一節がある。
今回の旅を終えて、
さらにまた
目に見える世界の <不安定さ>と、
目に見えない部分の <安定感>
のはざまで揺れる時間が
限りなく
短くなって来たのを感じます。
目に見える世界に <安定>を求めがちな私たちですが、
本当の安定感は、
目に見えないところにあるのだと
いまは、心から思えるのです。