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Cocorone

Cocorone(ココロネ)は 鎌倉にあるミラクルサロン'ano'ano のオーナー LiLiのブログです
好雪 片々不落別処
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    好雪 片々不落別処
    〜こうせつ へんぺんべっしょにおちず〜

    見事な雪。
    ひとひらひとひら、まちがったところには落ちない。




    いきなりですが、

    大好きな 石井ゆかりさんの著書



    『禅語 〜Zengo〜』
     の中の一編。


    ランダムに、バラバラに、
    思い思いに降りおちてくるように見える雪だが、
    降り終えてその積もった様子を見ると、
    ぴたりと狂いのない平らな雪原となる。 

    自らの重みと、風の流れに沿っておちているだけなのに、
    落ちるべきところに落ちていっているのだ。

    〜中略〜

    進路や職業選択、恋愛など、
    誰もがその人生の中で いくつもの「分岐点」を経験する。

    そこで、何を選ぶべきか迷う。

    そういうとき、人は

    『自分の未来は自分の意志や思考で決められる』とか、
    『あのとき、別の道を選んでいれば!』 など、
    あとになって後悔することもある。

    でも、本当にそうなのだろうか。

    私達はたぶん、
    雪のひとひらひとひらのように、
    自分の重みと風の流れに沿って、
    自然にあるべきところにたどり着いているのではないだろうか。


    「何かものごとがうまく行く時は、
    自分のことなのに まるで人ごとのように
    トントン拍子に事が進むんです」

    と、

    以前、語った人がいた。

    (だから)

    「どんな障害があっても 
    それは 問題にならないんです」と。





    今回のカウアイツアーを終え、 

    さらに、マウイ島での様々な体験を経て、

    この禅語があらわす景色を 

    いま、しみじみと味わっています。




    ものごとがはじまる前
    には よく、
    色々なことを 気がかりに思うことがある。


    頭では 

    「気にし過ぎないほうがいいよ」 とか、

    心では

    「信頼していれば 大丈夫だよ」 とか、


    色々な セルフセキュリティーの知恵を持っているとしても


    まだ見ぬ 未来のできごとを
    ちょっとだけ気がかりに思うことは なかなか完全にはなくならない。


    ただ、

    その心の切り替えが

    ここ数年で、
    実に早くなったのは確か。




    日本でも有名な ハワイのヒーラー
    ウィリアムレーネンさんも 言われていた。


    「ポジティブに生きる」
    「ポジティブに考える」という言葉が氾濫していますが、

    それは 例えば、

    病気である人が 「自分は病気ではない」と
    主張すること ではありません。

    ポジティブに生きるとは、
    あらゆる状況、出来事に直面し、
    前向きに対処し、生きて行く というあり方で、


    「関連するすべてにおいて、適切な行動がとれますように」


    という意識を、自分の中に落とし込み、実践することなのだ


    と。


    この<客観的>な意識で 
    すべての状況に対応してゆけることが

    本当の意味でのポジティブな生き方、考え方なのだ、と。


    レーネンさんの言葉でもうひとつ、興味深かった言葉で、


    「ベストな選択は何か」
    ということを考えている人は大勢いますが、

    選択肢はすべて、<ベストな選択>になる可能制を秘めています。


    何かを 選択し、

    それをポジティブな結果にするか 
    ネガティブなものにするか、

    それはあなた次第なのです。


    私達が必要なのは、

    これから 何が起きるか、
    何がベストな選択かを 知ることではなく、

    <選択する能力>
    <ポジティブに対処するための能力>です。


    何が起きても しっかりと 何かを選択し、
    結果をポジティブに変える準備ができていれば、
    未来を怖がることなく 今を生きられるようになるのです。



    という一節がある。


    今回の旅を終えて、

    さらにまた

    目に見える世界の <不安定さ>と、
    目に見えない部分の <安定感>
    のはざまで揺れる時間が

    限りなく
    短くなって来たのを感じます。


    目に見える世界に <安定>を求めがちな私たちですが、

    本当の安定感は、
    目に見えないところにあるのだ


    いまは、心から思えるのです。
    | 禅語 〜Zengo〜 | 07:48 | comments(0) | - | - | - |
    歳々年々、人不同
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      今年、

      2010年という一年は、

      波瀾万丈な 私の人生の中でも 
      最も心に残る一年であるという気がしている。


      それは、

      かつて、

      音楽と出会って、 長かった暗闇に光が射した時期や、
      突然ハワイに導かれて 
      人生がダイナミックに転換しはじめたあの頃の、


      次々に訪れる 
      予測のつかないミラクルな展開に 心踊らせながら
      息もつかずに 挑み続けることで得た 実りの日々
      とは 
      まったく毛色のちがう、
       
      自分の内側を構成する 思考/感情/細胞までもが
      大きく入れ替わったような感覚
      を体験した1年。


      生活環境が変わったり、
      仕事が変わったり、
      行動が変化したり、

      そういう 目に見える わかりやすい変化に
      果敢に取り組みながら キャーキャー 騒いでいた日々
      が 


      ある種、幼稚に思えるほど(笑)


      ここ1年の様々なチャレンジは、
      例えていうなら

      “緑色の胃液が出る”
      くらい(爆!) 

      吐き出せるものを出し切ったあとのスッキリ感 のような

      感情と思考の<嘔吐>を
      なんどもなんども 頻繁に繰り返しながら 
      どんどん 心身が軽くなっていくような


      そんな変容の日々でした。


      石井ゆかりさんの著書、 『禅語 〜zengo〜』のなかに


      歳々年々、人不同


      という禅語の紹介がある。

      「時々刻々と ひとは変化してゆく」 という意味のこの言葉。

      その“変化”は色々なレベルの変化を指すが、

      人の体を構成する60兆個の細胞も、
      5、6年ですべて新しいものと入れ替わっていて、

      「私」と呼んでいるこの個体は、
      5年前の「私」とは 実に、まったくちがう
      わけであると。


      しかし、人はつい、
      思いがけない人生の流れの中で、

      “自分は変化していないのに 周囲だけが変わってゆくように感じること”
       があったり、

      または、

      “周囲の変化から影響を受け、やむを得ず自分が変わる”と感じることがある と。


      でも、実際はそうではなく、
      本当は、時々刻々と 自分自身が変化しているのであるが、

      その、『変化する自分』 というものを
      どうとらえられるか、


      これが、いがいと

      どんなふうに人生を展開させてゆけるかのkeyになる気がするのです。


      この一節のくだりに、
      興味深い言葉が記されています。


      私達は、何か欠点を指摘されても、
      どうしてもそれを認められないことがある。

      (それは、)今を変えることが難しいというより、
      「今までの自分」を否定することができないからだ。

      それがどうにも苦しく、恥ずかしいので、
      今の自分を変えることができない。


      それは、
      人が「過去の自分」と、
      とても強い心理的紐帯で結びつけられているから


      だと。

      >「今までの自分」を否定することができない苦しさ、恥ずかしさ


      すごくすごく、よくわかる!

      と、
      この一文に、ワタシは 独り、何度もうなずいたものです(笑)。


      仮に、
      自分が、自分を 「より良くしよう」
      「過去の失敗や傷を乗り越えよう」 と、

      それなりの時間をかけて、必死で取り組んできた努力が
      思いのほか実を結ばず、

      あるとき、

      それまでの自分の努力や 費やした時間や経験を
      一旦、否定しなくては 前に進めないほどの状況に立たされた時、



      「方向違いだったのかも?」 という直感が 
      チラリと頭をかすめたとしても、


      「こんなに頑張って来たのに。。。」とか
      「そんなはずはない。。」とか
      「だって、これしか方法がなかったんだし!」という、


      なんとか <過去の自分> を肯定しないとやりきれない。。
      という苦しさに足を取られず、


      いまの自分の感覚を尊重して、
      いま、望むべき新しい自分に向かって

      素直で柔軟に自分を更新してゆける人は 
      なかなかに稀なのではないか、と思う。



      だって、
      その作業は、本当にしんどく、負荷が高いから。


      しかし、今年という年は

      まさにそういう作業に 果敢に取り組んだ2010年。
      (取り組まざるを得なかった、というか^^)


      そして、その非常にしんどかった 一連の苦闘のあとに

      ものすごーーーーく、
      軽やかになりつつある自分がいるのを感じています♪
      | 禅語 〜Zengo〜 | 00:32 | comments(2) | - | - | - |