2016.12.18 Sunday
【自分のための 覚え書き♪】
わたしはたいがい
人やモノごとの「いいところ」をとらえる。
違和感よりも先に 肯定感から入る。
それは、自分の性質の中でも
とっても気に入っているところ。
でも、一度肯定してしまうと、
同時にちょっとした違和感とか
「そこはちょっと好きくない」と、一瞬感じた感覚を
「無いもの」にしてしまうようなところがある。
気にし「ない」
目を向け「ない」
違和感的な反応が「ない」わけじゃないのに
「ない」と同じスタンスで、見ようとしなくなるところがある。
それじゃあ、ありのままを受け入れていることにはならないんじゃないか?
だって、実際は「ある」ものを
見ないようにしているってことなんだからさ。
わたしの敬愛するあの人は
そのままを全部感じてる。
都合の悪いもの、居心地の悪いものも排除しない。
(そもそもその人には、そこに「良い・悪い」の判断すらないのかもしれない。)
わたしは確かに、
《否定的な感覚》を排除している。
感じたことを 感じたままに表現するのがコワいのか、
否定的なことを「思う」だけでもコワいと感じているのか。
ただただ、コワガリだったんだ。。。
「ただ、あるがままに見る」という能力。
それを発動させるには、
自分の中に「嫌だ」とか、「気持ち悪い」とか
「憎悪」だとか、「苦しい」とか、「悲しい」とか、
そういう反応が起こることを 排除しないことだ。
すべての感覚・感情に繊細によりそうこと。
そして、それはただ
「共鳴として起きている自然現象」
であることを心に留めて 受け入れることだ。
受け入れること=許すこと=愛すること。